●第4回「八幡原の戦い」
永禄4年(1561)8月〜9月10日
武田軍20,000 上杉軍13,000
第3回の戦いの後、武田信玄は北信濃の根拠地として、海津城を築いた。上杉謙信が関東に進出したのを北信濃攻略の好機と見た武田信玄が越後計略策動を開始、これを聞いた謙信は関東から急ぎ春日山に戻り、川中島へ出兵、妻女山に布陣した。一方、武田信玄も甲斐を出発、茶臼山に布陣、のちに海津城に入った。両者の睨み合いは続き、武田軍は山本勘助が献策した「きつつき戦法」を用いることになるが、謙信に見破られ、武田軍は苦戦を強いられた。最初は上杉軍が優勢であったが、次第に武田軍の別働隊が合流、形勢が逆転し、決着つかぬまま両者は兵を引いた。この戦いにおいて、武田方の山本勘助、武田典厩信繁諸角豊後などの諸将が命を落とした。

ゆかりの地

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