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戸屋城跡

カテゴリー:城・館 | ◇アクセス

 読みは「とやじょう」跡。鳥屋城ともいう。鎌倉時代より、現長野市七二会から中条村にかけて領地を得た春日氏の居城といわれる。善光寺平から西部山地への入口にあたり、戸屋城下は「市場」と呼ばれ、山間の集落と集落とをつなぐ交通の要衝でもあった。戦国期、要害堅固な戸屋城は甲越両軍の標的となり、争奪戦が繰り広げられた。


戸屋城跡


本郭跡

 弘治3年(1557)2月、北信濃攻略を進める武田軍により落合備中守の葛山(かつらやま)城が落ちると、上杉謙信は救援部隊を率いて善光寺に向かい、旭山城を再興して反撃した。そして、長沼城を追われ大倉城に退いた島津月下斎(しまづげっかさい)の兵を戸屋城に送り、武田に属した大日方氏に備えて、小川・鬼無里(きなさ)へ圧力をかけた。その後、戸屋城は武田方に奪還されたという。


戸屋城跡から長野市街地方面を望む


七二会「市場」から

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