
供養塔・墓
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板垣神社 天文17年(1548)、村上義清(むらかみよしきよ)との上田原合戦で散った武田家の重臣・板垣信方(いたがきのぶかた)。武田信虎・信玄の父子二代に仕え、天文11年(1542)諏訪攻略の副将に・・・
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諸角豊後守は、信虎、信玄の2代にわたって武田家に仕えた重臣。両角・室住・諸住とも記し、諸角虎定[とらさだ]、昌清[まさきよ]ともいう。 永禄4年(1561)の川中島の大激戦では、81歳という最古参で・・・
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りんご園の中に建つ古い五輪塔で、桑山茂見(くわやましげみ)の墓と伝えられる。もとは塚の上にあったものといわれ、塚は「狐丸(きつねまる)塚」「狐塚」と呼ばれる首塚の一つであった。 桑山茂見は、信玄に仕え・・・
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原大隅守[はらおおすみのかみ]は、川中島の戦いでは武田信玄の中間頭でもあった。八幡原史跡公園にある「執念の石」は、永禄4年(1561)の第4次川中島の激戦で、上杉謙信が武田の本陣に乗り込み、信玄と一・・・
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長徳寺 弘治元年(1555)、犀川[さいがわ]をはさんで甲越両軍が対陣した第2次川中島の戦いで、武田信玄の本陣となった大堀館は、町田兵庫正之[まちだひょうごまさゆき]の居館とされている。 町田兵・・・
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北信濃の豪族・大日方佐渡守直長[おびなたさどのかみなおなが]は、安曇郡千見城主といわれ、広田に所領を得て、川中島中央部の押さえである広田砦の守将となった。直長の墓がある昌龍寺[しょうりゅうじ]は、大・・・
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善光寺の北側、長野市街地を一望する花岡平の霊山寺(真言宗)に築かれた首塚。 その昔境内を整備したときに、首だけの白骨化石が発掘され、鑑定の結果、討ち取った武田方の武将の首を検分し、論功(手柄の有無・・・
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永禄4年(1561)の川中島の戦いで、大乱戦の末、上杉軍の兵が多数討ち死にしたといわれるあたりに鎮魂のために建てられた塚。上杉軍は犀川を越えて善光寺横山城へと撤退しようとしたが、武田軍に阻まれ、犀・・・
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江戸時代初め、越後高田藩の所領・坂木五千石の奉行となった長谷川安左衛門利次が建てた村上義清の墓所。埴科郡坂城町にある。 明暦3年(1657)、坂木の名家遺跡の亡失を憂えた利次は、義清の子孫・義清の・・・
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長野市川中島町今里にある。 小田切氏は、吉窪(よしくぼ)城を居城とし、裾花川をはさんで葛山(かつらやま)城に隣接する安茂里小市(あもり・こいち)地区に勢力を誇った有力土豪であった。 弘治3年(1・・・
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