カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 神社・寺 | ◇アクセス
飯縄山 長野市の北方に美しい裾野を広げてそびえる飯綱山は、古くから修験道の霊山として栄えてきた。変幻自在の天狗・飯縄大明神は不動明王の化身ともされ、戦国武将から守護神として崇敬。上杉謙信は兜の前立て・・・
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弘治元年(1555)7月、村上義清・高梨政頼らに援助を請われ川中島に出陣した上杉謙信が陣を構えた善光寺東方の平山城。善光寺一円を支配する重要な拠点でもあり、善光寺横山城ともいわれる。 このとき、武田信・・・
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第2回川中島合戦の対陣のとき、善光寺の北西にある葛山山頂に築かれた上杉方の城。上杉謙信が武田方の旭山城に対する向城として整備・拡大した重要な前線拠点であった。もとは葛山衆と呼ばれる地侍の城で、城主は落・・・
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上杉・武田両軍の争奪戦が行われた山城。長野県庁の西にそびえる標高785mの旭山山頂に本城、中腹に大黒城、尾根の突端には小柴見城(こしばみじょう)があった。 旭山全景 旭山城跡(旭山山頂) 天文22年(・・・
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村上氏の支族である山田氏によって築かれた山城で、山田城、砥沢城とも呼ばれる。川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられた。 天正10年(1582)、武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時・・・
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第4次川中島の戦いで上杉謙信が妻女山に本陣をかまえたとき、槍の尻で地面を突いたところ、水が湧き、泉ができたといわれる。現在も水が湧き出ている場所には、地元有志の人々による石碑が建っている。 自ら毘沙門・・・
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読みは「くらかけのまつ」、「あいづひめじんじゃ」。永禄4年(1561)の川中島の戦いで妻女山[さいじょざん]に本陣をかまえた上杉謙信が、山麓の会津比売神社に必勝を祈願したときに乗馬の鞍を掛けたという由・・・
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長野市街地から髻山城跡を望む 長野市北端、飯綱町牟礼[いいづなまちむれ]との境にある髻山(標高744.4m)に築かれた山城で、越後方面から善光寺平に入る要衝にあたり、川中島の戦いの頃、上杉・武田両軍・・・
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