
上杉軍関連
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読みは「さいじょさん」「さいじょざん」。永禄4年(1561)8月、上杉謙信が越後から1万3,000人の軍を率いて陣営を設けたといわれる小高い山。 展望はよく、東に松代の町、西北に千曲川の流れと川中島・・・
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5度にわたって繰り広げられた信玄と謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年(1561)の戦いの舞台になったのが八幡原。ここでの戦いが最も激しく、副将・武田典厩信繁、山本勘助ら勇将が戦死した。史跡公園の松林・・・
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永禄4年(1561)の川中島合戦で、武田軍の本陣に攻め入った謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたとされるエピソードから、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)原作のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映(・・・
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三太刀七太刀之跡の碑 左は八幡社 読みは「みたち・ななたちのあと」の碑。謙信・信玄一騎討ちの場所と伝えられ、三度斬りつけ軍配団扇(ぐんばいうちわ)には七つの傷が残っていたことから、こう言われている。・・・
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武田・上杉両軍が3万余の死闘を展開した永禄4年(1561)の川中島合戦。上杉軍は車懸かりの戦法をとり、武田軍本陣の信玄めがけ上杉謙信が切り込んできた。謙信の鋭い太刀に、信玄は手にした軍配団扇で受け止め・・・
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読みは「とがくしじんじゃ」。戸隠山のふもと、奥社・中社・宝光社(ほうこうしゃ)・九頭龍社(くずりゅうしゃ)・火之御子社(ひのみこしゃ)の五社からなる山岳信仰の霊場。「天岩戸」神話の舞台でもあり、平安時・・・
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読みは「あめみやのわたし」。永禄4年(1561)の9月9日夜半、妻女山(さいじょさん)に布陣していた上杉謙信は、武田軍の炊飯の煙を見て夜襲(啄木鳥[きつつき]の戦法)を察知。1万3千の兵を率いて雨宮の・・・
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骨をつみしほ流ししもののふの おもかげうかぶ赤川の水 浅井洌作歌 この場所にはかつて、建御名方命[たけみなかたのかみ]を主祭神とし、西寺尾村岡組の産土守[うぶすながみ]とし・・・
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本堂 源頼朝や北条一族にも篤い帰依(きえ)を受け、全国に広く信仰を集めていた大霊場。信玄は弘治元年(1555)に、ご本尊(一光三尊阿弥陀如来)はじめ什宝(じゅうほう…家宝として秘蔵するもの)、寺僧・・・
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北信濃の覇権をめぐり川中島で戦いを繰り広げた武田信玄と上杉謙信。両者は領地だけでなく、全国に広く信仰を集めていた善光寺の威光をも手に入れようと奪い合った。その善光寺大勧進には、現在、信玄と謙信の位牌が・・・
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飯縄山 長野市の北方に美しい裾野を広げてそびえる飯綱山は、古くから修験道の霊山として栄えてきた。変幻自在の天狗・飯縄大明神は不動明王の化身ともされ、戦国武将から守護神として崇敬。上杉謙信は兜の前立て・・・
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弘治元年(1555)7月、村上義清・高梨政頼らに援助を請われ川中島に出陣した上杉謙信が陣を構えた善光寺東方の平山城。善光寺一円を支配する重要な拠点でもあり、善光寺横山城ともいわれる。 このとき、武田信・・・
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第2回川中島合戦の対陣のとき、善光寺の北西にある葛山山頂に築かれた上杉方の城。上杉謙信が武田方の旭山城に対する向城として整備・拡大した重要な前線拠点であった。もとは葛山衆と呼ばれる地侍の城で、城主は落・・・
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上杉・武田両軍の争奪戦が行われた山城。長野県庁の西にそびえる標高785mの旭山山頂に本城、中腹に大黒城、尾根の突端には小柴見城(こしばみじょう)があった。 旭山全景 旭山城跡(旭山山頂) 天文22年(・・・
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村上氏の支族である山田氏によって築かれた山城で、山田城、砥沢城とも呼ばれる。川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられた。 天正10年(1582)、武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時・・・
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第4次川中島の戦いで上杉謙信が妻女山に本陣をかまえたとき、槍の尻で地面を突いたところ、水が湧き、泉ができたといわれる。現在も水が湧き出ている場所には、地元有志の人々による石碑が建っている。 自ら毘沙門・・・
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読みは「くらかけのまつ」、「あいづひめじんじゃ」。永禄4年(1561)の川中島の戦いで妻女山[さいじょざん]に本陣をかまえた上杉謙信が、山麓の会津比売神社に必勝を祈願したときに乗馬の鞍を掛けたという由・・・
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長野市街地から髻山城跡を望む 長野市北端、飯綱町牟礼[いいづなまちむれ]との境にある髻山(標高744.4m)に築かれた山城で、越後方面から善光寺平に入る要衝にあたり、川中島の戦いの頃、上杉・武田両軍・・・
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髻山城に出陣した上杉謙信が水を求めて井戸を掘らせたが兵を養う水量がなく、守り本尊として大切にしていた黄金の千手観音像を投じて祈願したところ、こんこんと湧き水があふれだしたという伝説の清水。その後、・・・
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千曲市にある武水別神社は、通称「やわたの八幡[はちまん]さま」とも呼ばれ、近郷の人々に親しまれている川中島地方随一の大社。 主祭神の武水別神[たけみずわけのおおかみ]は水を司る神で、善光寺平の五穀豊・・・
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幕張の杉 記念碑 第4次川中島の戦いで、地元の里人の申し出により、甲越両軍が戦場との境界として幕を張り、その時利用された杉の木。 永禄4年(1561)、信濃に進軍してきた甲越両軍に対し、川中島西部6・・・
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善光寺の北東、三登山[みとやま]中腹部に位置し、上杉謙信によって整備されたという山城。読みは、「わかつきやまじょう」跡。 麓の若槻里城の詰城として、鎌倉時代初期、この地に移った若槻氏を名のる源頼隆・・・
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本郭跡 長野市豊野町にある。上杉謙信が川中島への前衛拠点のために髻山城[もとどりやまじょう]を築いた際、完成するまでの間、家臣の甘粕近江守に命じて、わずか三日で築かせたと伝わる城。 三日城跡近く・・・
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霊山寺より約300m奥、謙信物見の岩の下に岩井堂があり、弘法大師(空海)が修行中 杖で地面を突いたら清水が湧き、弘法大師が好んで硯の水に用いたという。のちに上杉謙信が大峰山布陣の際に飲み水にしたと・・・
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永禄4年(1561)、八幡原の激戦で、越軍の主力部隊からはぐれた上杉謙信が追い迫る武田の軍勢から逃れて渡ったとされる千曲川の瀬。海津城から八幡原に通じる「広瀬」の渡しから3kmほど下流に位置する。 ・・・
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永禄4年(1561)9月10日、武田軍の戦術を見破り、妻女山を引き払って武田本陣に奇襲をかけようした上杉軍。戦いの終盤、直江山城守[なおえやましろのかみ]の別働隊は丹波島に留まり、味方の犀川[さいが・・・
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読みは「ふののわたし」。永禄4年(1561)8月14日、1万3千の兵を引き連れ、川中島へと出馬した上杉謙信は、兵糧部隊を善光寺横山城に向かわせ、自らは本隊を率いて神代(長野市豊野町)からこの渡しを渡・・・
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丹波島の渡しから1kmほど下流にあり、川中島の戦いの頃は犀川の主な渡し場であった。 永禄4年(1561)、犀川を越え善光寺横山城へ撤退しようとした上杉軍の兵だったが、武田軍に阻まれ、この市村の渡しあ・・・
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永禄4年(1561)の川中島の戦いで、大乱戦の末、上杉軍の兵が多数討ち死にしたといわれるあたりに鎮魂のために建てられた塚。上杉軍は犀川を越えて善光寺横山城へと撤退しようとしたが、武田軍に阻まれ、犀・・・
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読みは「とりうちとうげ」。松代の城下町から東寺尾を経て大室へ越え、更に飯山方面へと向かう谷街道※の峠。武田信玄や山本勘助も一目おいた額岩寺光氏(がくがんじみつうじ)が、主君の村上義清のため武田方に降・・・
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読みは「そろべくとうげ」。上杉謙信が永禄4年(1561)の川中島の戦いで、飯山(飯山市)からこの峠を越えて妻女山(さいじょざん)に布陣したとされる。可候峠の名は「可候(そうろうべし)」の草書体のよう・・・
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遠景 ダルマ岩 読みは「はるやまじょう」跡。長野市若穂綿内。綿内(わたうち)井上氏の城といわれ、綿内要害、城ノ峰(じょうのみね)城とも呼ばれる。千曲川と犀川が合流する東方、若穂綿内の地は、井上氏の穀・・・
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読みは「やすだのわたし(つなきりのわたし)」。安田の地は高井方面から千曲川左岸の飯山方面に出る重要な渡し場であり、「綱取」とも通称されていた。 『甲越信戦録』では、永禄4年(1561)八幡原の激戦・・・
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読みは「とみくらとうげ」。標高681m、北信濃と越後を結ぶ交通交易の重要なルートであった富倉道(現飯山市から妙高市に通じる)の旧峠。川中島の戦いでは、上杉謙信が越後から兵を率いて信濃に進軍する際、主・・・
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読みは「いいやまじょう」跡。千曲川西岸の丘陵に築かれた平山城で、古くは飯山常岩に所領をもった土豪・泉氏の居館であったと伝わる。川中島の戦いのころ、上杉謙信が武田軍に対する防衛拠点として修築したとされ・・・
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読みは「のじりじょう」跡。野尻城は、野尻湖に浮かぶ琵琶島(びわじま)城と、野尻湖の北岸、斑尾(まだらお)山麓がのびた尾根の突端に築かれた野尻新城とがある。甲越戦争では、信越国境の軍事的拠点となり、武・・・
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