史跡ガイド

神社・寺

謙信鞍掛の松/会津比売神社

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読みは「くらかけのまつ」、「あいづひめじんじゃ」。永禄4年(1561)の川中島の戦いで妻女山[さいじょざん]に本陣をかまえた上杉謙信が、山麓の会津比売神社に必勝を祈願したときに乗馬の鞍を掛けたという由・・・

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十王堂

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日本の戦国史のなかでも大激戦のひとつに数えられる永禄4年(1561)の川中島の戦いは、甲越両軍あわせて戦死者8千人余と伝えられ、将兵のみならず、数多くの里人も戦火に見舞われ犠牲となった。 十王堂縁起・・・

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生島足島神社

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万物を生み育て、満ち足らしめる日本総鎮守と仰がれ、摂社(下社)には諏訪明神をまつる信州屈指の古社。 寺社勢力を取り込み、より多くの神仏の加護を得ようとした武田信玄は、天文22年(1553)、東信濃攻略・・・

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武水別神社[たけみずわけじんじゃ]

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千曲市にある武水別神社は、通称「やわたの八幡[はちまん]さま」とも呼ばれ、近郷の人々に親しまれている川中島地方随一の大社。 主祭神の武水別神[たけみずわけのおおかみ]は水を司る神で、善光寺平の五穀豊・・・

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原大隅守の墓(地蔵寺)

カテゴリー:武田軍関連 神社・寺 供養塔・墓 | ◇アクセス

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 原大隅守[はらおおすみのかみ]は、川中島の戦いでは武田信玄の中間頭でもあった。八幡原史跡公園にある「執念の石」は、永禄4年(1561)の第4次川中島の激戦で、上杉謙信が武田の本陣に乗り込み、信玄と一・・・

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境福寺

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境福寺 信玄公ゆかりの井戸跡  読みは「きょうふくじ」。川中島合戦のころは小さな庵で、武田信玄が水を求めて立ち寄った際に「境福寺」と命名し、弘治2年(1556)上人を迎えて勧請(かんじょう)したと伝・・・

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保科氏館跡

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総門から本堂を望む 本堂  場所は長野市若穂保科。「槍弾正」と称された高遠城主・保科弾正忠正俊(ほしな だんじょうのじょう※ まさとし)は、武田方の信濃先方衆騎馬120騎持ちの侍大将を務め、武田家滅・・・

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大日方佐渡守直長の墓(晶龍寺)

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 北信濃の豪族・大日方佐渡守直長[おびなたさどのかみなおなが]は、安曇郡千見城主といわれ、広田に所領を得て、川中島中央部の押さえである広田砦の守将となった。直長の墓がある昌龍寺[しょうりゅうじ]は、大・・・

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天宗寺

カテゴリー:武田軍関連 神社・寺 | ◇アクセス

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 大岡城跡の東側にある曹洞宗のお寺。読みは「てんそうじ」。  寺伝によると、文応年間(1260~1261)に香坂宗清[こうさかむねきよ]が開基となって創建。麻績城主・小見氏の娘華蔵院(諏訪頼重の室)が・・・

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川中島合戦勇士の首塚(霊山寺)

カテゴリー:神社・寺 供養塔・墓 | ◇アクセス

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 善光寺の北側、長野市街地を一望する花岡平の霊山寺(真言宗)に築かれた首塚。 その昔境内を整備したときに、首だけの白骨化石が発掘され、鑑定の結果、討ち取った武田方の武将の首を検分し、論功(手柄の有無・・・

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