
城・館
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塩崎城 遠景 石組み 篠ノ井塩崎地区にある山城で、別名白助城[しらすけじょう]とも呼ばれる。 応永7年(1400)の大塔[おうとう]合戦の頃から赤沢氏の居城であったが、戦国期には塩崎氏が支配した。天・・・
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別名赤沢城とも呼ばれ、大塔合戦から3年後の応永10年(1403)村上満信を盟主とする国人一揆党が再び反抗して立てこもり、幕府が攻撃し落城させたといわれる城。戦国期には、この一帯を支配した塩崎氏が天文2・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 城・館 | ◇アクセス
長野市街地から髻山城跡を望む 長野市北端、飯綱町牟礼[いいづなまちむれ]との境にある髻山(標高744.4m)に築かれた山城で、越後方面から善光寺平に入る要衝にあたり、川中島の戦いの頃、上杉・武田両軍・・・
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髻山城に出陣した上杉謙信が水を求めて井戸を掘らせたが兵を養う水量がなく、守り本尊として大切にしていた黄金の千手観音像を投じて祈願したところ、こんこんと湧き水があふれだしたという伝説の清水。その後、・・・
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読みは「ひろだじょうあと」。広田砦(広田城)は、昌龍寺[しょうりゅうじ]の辺りから東昌寺[とうしょうじ]辺りにかけて、武田方の川中島中央部の押さえとして弘治年中(1555~1558)に築かれた砦といわ・・・
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東太郎山の尾根のひとつに構築された堅固な山城で、本城を中心に北に枡形城[ますがたじょう]、南に砥石城、南西に米山城[こめやまじょう]を配し、総称して砥石城と呼ぶ。 砥石城 遠景 左から米山城、砥石本城・・・
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葛尾城跡本郭 武田信玄と激戦を繰り広げた村上義清の居城跡。葛尾城は五里ヶ峰[ごりがみね]から南に伸びた葛尾山頂が本郭で、その南には出城の姫城[ひめじろ]がある。 地形を生かして本丸、二の丸などを深い・・・
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カテゴリー:武田軍関連 城・館 神社・寺 | ◇アクセス
総門から本堂を望む 本堂 場所は長野市若穂保科。「槍弾正」と称された高遠城主・保科弾正忠正俊(ほしな だんじょうのじょう※ まさとし)は、武田方の信濃先方衆騎馬120騎持ちの侍大将を務め、武田家滅・・・
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北国往還の要衝・雨宮の渡し[あめのみやのわたし]をはさみ、古来より合戦場となった横田河原につくられた城。城跡は、現在の篠ノ井会[あい]地区の集落一帯のあたりとされる。養和元年(1181)木曽義仲が・・・
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村上氏一族・栗田氏の城館跡。堀之内城ともいわれた。弘治元年(1555)、第2次川中島の戦いでは、栗田氏は武田方について旭山城にこもり、横山城の上杉謙信を牽制した。信玄は犀川[さいがわ]対岸の大堀館に・・・
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