史跡ガイド

城・館

海津城跡

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読みは「かいづじょう」。山本勘助が築城し、甲州流築城の模範になったといわれる名城。川中島平全体をにらむ、戦略的に重要な地点にあり、三方を山に囲まれ、西は南北に流れる千曲川という自然の地形を巧みに利用し・・・

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妻女山

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読みは「さいじょさん」「さいじょざん」。永禄4年(1561)8月、上杉謙信が越後から1万3,000人の軍を率いて陣営を設けたといわれる小高い山。 展望はよく、東に松代の町、西北に千曲川の流れと川中島・・・

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尼巌城跡(尼飾城跡)

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標高780m、尼巌山(あまかざりやま、尼飾山、雨飾山)の険しい絶壁の山頂に、土豪・東条氏が築城したとされる詰めの城。東条城とも称される。 尼巌山 遠景 尼巌山 近景(手前は善徳寺) 信玄は真田幸隆(さ・・・

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大堀館跡

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弘治元年(1555年)の第2回川中島の戦いで、武田軍と上杉軍が犀川をはさんで長期にわたる対陣をした際、信玄の本陣となったところ。このとき、謙信は善光寺横山城に着陣。大塚館は犀川を隔てて善光寺に対し、東・・・

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横山城跡

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弘治元年(1555)7月、村上義清・高梨政頼らに援助を請われ川中島に出陣した上杉謙信が陣を構えた善光寺東方の平山城。善光寺一円を支配する重要な拠点でもあり、善光寺横山城ともいわれる。 このとき、武田信・・・

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葛山城跡

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第2回川中島合戦の対陣のとき、善光寺の北西にある葛山山頂に築かれた上杉方の城。上杉謙信が武田方の旭山城に対する向城として整備・拡大した重要な前線拠点であった。もとは葛山衆と呼ばれる地侍の城で、城主は落・・・

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旭山城跡

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上杉・武田両軍の争奪戦が行われた山城。長野県庁の西にそびえる標高785mの旭山山頂に本城、中腹に大黒城、尾根の突端には小柴見城(こしばみじょう)があった。 旭山全景 旭山城跡(旭山山頂) 天文22年(・・・

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ノロシ山(狼煙山)

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海津城(かいづじょう)の背後、武田軍の狼煙(のろし)台が置かれていた山。永禄4年(1561)8月14日、謙信の進撃を知った海津城将の高坂弾正忠(こうさかだんじょうのじょう※)は、冨士山形にそびえるこの・・・

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荒砥城(あらとじょう)跡〈城山史跡公園〉

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村上氏の支族である山田氏によって築かれた山城で、山田城、砥沢城とも呼ばれる。川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられた。 天正10年(1582)、武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時・・・

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塩崎城跡

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塩崎城 遠景 石組み 篠ノ井塩崎地区にある山城で、別名白助城[しらすけじょう]とも呼ばれる。 応永7年(1400)の大塔[おうとう]合戦の頃から赤沢氏の居城であったが、戦国期には塩崎氏が支配した。天・・・

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塩崎新城跡

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別名赤沢城とも呼ばれ、大塔合戦から3年後の応永10年(1403)村上満信を盟主とする国人一揆党が再び反抗して立てこもり、幕府が攻撃し落城させたといわれる城。戦国期には、この一帯を支配した塩崎氏が天文2・・・

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髻山城跡[もとどりやまじょうあと]

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長野市街地から髻山城跡を望む 長野市北端、飯綱町牟礼[いいづなまちむれ]との境にある髻山(標高744.4m)に築かれた山城で、越後方面から善光寺平に入る要衝にあたり、川中島の戦いの頃、上杉・武田両軍・・・

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髻山観音清水(髻山城跡)

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 髻山城に出陣した上杉謙信が水を求めて井戸を掘らせたが兵を養う水量がなく、守り本尊として大切にしていた黄金の千手観音像を投じて祈願したところ、こんこんと湧き水があふれだしたという伝説の清水。その後、・・・

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広田城跡(広田砦跡・東昌寺・昌龍寺)

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読みは「ひろだじょうあと」。広田砦(広田城)は、昌龍寺[しょうりゅうじ]の辺りから東昌寺[とうしょうじ]辺りにかけて、武田方の川中島中央部の押さえとして弘治年中(1555~1558)に築かれた砦といわ・・・

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砥石城跡[といしじょうあと]

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東太郎山の尾根のひとつに構築された堅固な山城で、本城を中心に北に枡形城[ますがたじょう]、南に砥石城、南西に米山城[こめやまじょう]を配し、総称して砥石城と呼ぶ。 砥石城 遠景 左から米山城、砥石本城・・・

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葛尾城跡[かつらおじょうあと]

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葛尾城跡本郭 武田信玄と激戦を繰り広げた村上義清の居城跡。葛尾城は五里ヶ峰[ごりがみね]から南に伸びた葛尾山頂が本郭で、その南には出城の姫城[ひめじろ]がある。 地形を生かして本丸、二の丸などを深い・・・

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保科氏館跡

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総門から本堂を望む 本堂  場所は長野市若穂保科。「槍弾正」と称された高遠城主・保科弾正忠正俊(ほしな だんじょうのじょう※ まさとし)は、武田方の信濃先方衆騎馬120騎持ちの侍大将を務め、武田家滅・・・

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横田城跡

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 北国往還の要衝・雨宮の渡し[あめのみやのわたし]をはさみ、古来より合戦場となった横田河原につくられた城。城跡は、現在の篠ノ井会[あい]地区の集落一帯のあたりとされる。養和元年(1181)木曽義仲が・・・

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栗田城跡

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 村上氏一族・栗田氏の城館跡。堀之内城ともいわれた。弘治元年(1555)、第2次川中島の戦いでは、栗田氏は武田方について旭山城にこもり、横山城の上杉謙信を牽制した。信玄は犀川[さいがわ]対岸の大堀館に・・・

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長沼城跡

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 千曲川左岸の自然堤防上にひらかれた長沼集落に築かれた平城。このあたりを支配していた島津氏の拠点であったが、弘治3年(1557)、葛山城を攻め落とし、善光寺平から北信濃へと兵を進める武田の軍勢に押さ・・・

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若槻山城跡

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 善光寺の北東、三登山[みとやま]中腹部に位置し、上杉謙信によって整備されたという山城。読みは、「わかつきやまじょう」跡。  麓の若槻里城の詰城として、鎌倉時代初期、この地に移った若槻氏を名のる源頼隆・・・

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若槻里城跡

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 読みは「わかつきさとじょう」跡。北方の三登山(みとやま)中腹にある若槻山城に対応した居館で、 12世紀後半(鎌倉時代初期)に山城とともに若槻頼隆[よりたか](源義家の孫)によって築城されたと伝えられ・・・

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堂沢出城跡

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堂沢出城跡 二の郭  武田信玄と上杉謙信が奪い合いをした若槻山城の出城跡とされる。平成15 年(2003)に長野市立若槻小学校が実施した若槻山城探訪の帰り道で、当時の6 年1 組の児童が偶然発見した・・・

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大倉城跡

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 標高539m、善光寺平の北方、千曲川と鳥居川が合流し、北国東街道・飯山街道・中野街道が交差する要衝の地に築かれた山城。 本郭跡を見上げる 本郭跡  弘治3年(1557)、武田軍によって葛山城が落城し・・・

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三日城跡(みっかじょうあと)

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本郭跡  長野市豊野町にある。上杉謙信が川中島への前衛拠点のために髻山城[もとどりやまじょう]を築いた際、完成するまでの間、家臣の甘粕近江守に命じて、わずか三日で築かせたと伝わる城。  三日城跡近く・・・

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大岡城跡

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 砦山城[とりでやまじょう]とも呼ばれ、武田軍によって築かれたといわれる。近くにある天宗寺が館跡とされている。築城法は甲州流の特徴といわれる丸馬出しや三日月堀が見られる。 大岡城跡 天宗寺方向から大岡・・・

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吉窪城跡

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 犀川[さいがわ]が善光寺平へと流れ出る、長野市小田切塩生の北側に築かれた山城。川中島の戦いのころは、村上氏の支族・小田切駿河守幸長[おたぎりするがのかみゆきなが]の居城であった。城跡からは犀川と川中・・・

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小松尾城跡

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小松尾城跡遠景 小松尾城跡近景 犀川[さいがわ]筋の見張りを兼ねた山城。信州新町和田之城から谷を隔てた南方にあり、牧之島城、麻績城といった更級・水内・筑北の狼煙ネットワークのひとつと考えられている。・・・

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牧之島城跡

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 上水内郡信州新町牧之島にある。 牧之島城は、鎌倉時代に佐久の香坂氏(高坂)が移住し、牧場を経営して土豪となり築城した城。天文22年(1553)城主香坂弾正宗重は、村上義清に組して武田信玄に抗した。義・・・

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塩田城跡

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 上田市塩田平の南方、独鈷[どっこ/とっこ]山麓に築かれた城。鎌倉文化を花開かせた北条義政(1242-1282)の居城とされ、戦国期は、村上義清が福沢氏をおいて東信濃を統治させていた。  天文22年・・・

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村上義清居館跡(満泉寺)

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 埴科郡坂城町木下にある。 東信濃の勇将と謳われた村上義清の居館は、葛尾[かつらお]城の南山麓、満泉寺[まんせんじ]とその周辺一帯であった。満泉寺は村上氏代々の菩提寺で、寺伝によると応和3年(963)・・・

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屋代城跡

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 別名・一重山[ひとえやま]城。千曲市にある。東信濃と善光寺平に接する千曲川沿いの要地にあり、城主は村上支族の屋代氏とされる。一重山の尾根に、南北に連なる郭と堀切を置き、川中島地方の南端に威容を誇って・・・

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小柴見城跡

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 読みは「こしばみじょう」跡。裾花川の西、旭山の東南にのびた尾根の突端にある山城。この地の土豪であった小柴見宮内(こしばみくない)が築いたといわれ、小田切氏の属城であったともされる。  戦国時代、甲・・・

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青柳城跡

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 読みは「あおやぎじょう」跡。旧善光寺道青柳宿(筑北村青柳)の東方、四阿屋山(あづまやさん)支脈の尾根上に築かれた青柳氏の本城跡。北と南の両勢力の境目にあたり、川中島の戦いのころには武田対上杉、のちに・・・

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小森氏館跡

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 長野市篠ノ井小森地区の千曲川堤防内側にあり、伝承では、戦国時代までこの地を領した小森遠江守の館跡といわれる。小森氏は諏訪氏の一族であったが武田に仕えて、のち上杉景勝にしたがって会津へ移住したという・・・

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清野氏居館跡(古峰神社)

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 鞍骨山(くらぼねやま)の麓、清野大村地区にある古峰(こみね)神社は、鞍骨城主・清野[きよの]氏の屋敷跡と伝えられる。宝永年間(1704~1710)に清野氏と村人らの鎮守のため建立されたという。  祭・・・

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鞍骨城跡

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読みは「くらぼねじょう」跡。長野市松代町清野・千曲市倉科。千曲市と長野市境の鞍骨山(標高798m)に、永正年中(1504~1521)、村上氏の支族・清野山城守勝照[きよのやましろのかみかつてる]が築い・・・

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霜台城跡

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 読みは「そうたいじょう」跡。若穂保科須釜。  武田信玄に仕え、高遠城主となった保科弾正忠正俊(ほしな だんじょうのじょう※1 まさとし)は「槍弾正」の異名をもつが、霜台(そうたい)とは「弾正忠」の・・・

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春山城跡

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遠景 ダルマ岩 読みは「はるやまじょう」跡。長野市若穂綿内。綿内(わたうち)井上氏の城といわれ、綿内要害、城ノ峰(じょうのみね)城とも呼ばれる。千曲川と犀川が合流する東方、若穂綿内の地は、井上氏の穀・・・

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手子塚城跡

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 読みは「てごづかじょう」跡。長野市豊野町蟹沢。戦国時代、長沼と鳥居川流域を領有した島津氏による大倉城の出城といわれる。千曲川左岸の小丘上にあり、直下に古くからの渡し場があった。千曲川対岸の高梨氏勢・・・

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天城城跡

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 読みは「てしろじょう」跡。永禄4年(1561)の川中島の戦いで、上杉謙信が陣を構えた妻女山(さいじょざん)から続く尾根上の天城山(694m)に築かれた城。同じ尾根にある鞍骨(くらぼね)城の出城と考・・・

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霞城跡

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霞城跡遠景 石垣跡  読みは「かすみじょう」又は「かじょう」跡。長野市松代町大室にある。別名・大室(おおむろ)城跡。奇妙山(きみょうさん)から伸びた尾根が崖となって千曲川に落ち込み、三方は断崖で囲ま・・・

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金井山城跡

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 長野電鉄金井山駅の裏手、松代の東北に半島のように突き出た金井山山頂にある。長野市松代町柴。南北に2つの郭が並び、細長い山の背を利用した山城で、寺尾氏の家老だった金井氏の砦と伝わる。 金井山城跡遠景 ・・・

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寺尾城跡

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遠景 寺尾城跡遠景  長野市松代町東寺尾。寺尾氏築城とされる城。千曲川沿いに突き出た尾根に位置し、善光寺平へ大室(おおむろ)から可候(そろべく)峠を越え、加賀井、地蔵峠、上田方面へと通じる交通の要所・・・

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竹山城跡

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 長野市松城町松代。海津城跡の南にある通称・象山(ぞうざん・標高475.8m)山頂に築かれた城。清野氏一族の西条(にしじょう)氏の居城であったといわれ、鞍骨(くらぼね)城の支城としての役割を果たしてい・・・

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戸屋城跡

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 読みは「とやじょう」跡。鳥屋城ともいう。鎌倉時代より、現長野市七二会から中条村にかけて領地を得た春日氏の居城といわれる。善光寺平から西部山地への入口にあたり、戸屋城下は「市場」と呼ばれ、山間の集落と・・・

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飯山城跡

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 読みは「いいやまじょう」跡。千曲川西岸の丘陵に築かれた平山城で、古くは飯山常岩に所領をもった土豪・泉氏の居館であったと伝わる。川中島の戦いのころ、上杉謙信が武田軍に対する防衛拠点として修築したとされ・・・

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野尻城跡

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 読みは「のじりじょう」跡。野尻城は、野尻湖に浮かぶ琵琶島(びわじま)城と、野尻湖の北岸、斑尾(まだらお)山麓がのびた尾根の突端に築かれた野尻新城とがある。甲越戦争では、信越国境の軍事的拠点となり、武・・・

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桝形城跡(山田要害)

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 読みは「ますがたじょう」跡。別名山田城。鎌倉時代に、安曇郡仁科(にしな)氏を出自とする山田氏が築城したともいわれ、のち井上氏、ついで高梨氏の城となった。間山(まやま)峠にあるのろし台を見張る位置にあ・・・

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平倉城跡(小谷城跡)

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 読みは「ひらくらじょう/おたりじょう」跡。小谷村中土の姫川右岸、松本から越後の糸魚川(いといがわ)に抜ける要衝にあり、標高835mの平倉(ひらくら)山に築かれた山城。 遠景 遠景その2  弘治3年(・・・

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虚空蔵山城跡

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虚空蔵山城跡 遠景  読みは「こくぞうさんじょう」跡。鎌倉初期、小県(ちいさがた)郡の海野(うんの)氏を祖とする会田(あいだ)氏の城。会田氏は、麓の会田殿村に居館を置き、虚空蔵山(こくぞうさん・標高・・・

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