
武田軍関連
カテゴリー:武田軍関連 神社・寺
戸隠(とがくし)大権現に捧げた武田晴信(たけだはるのぶ、信玄)願文。戦いに勝って領土を広げていくために、少しでも多くの神仏の加護を得たいと願った武田信玄が、永禄元年、信濃一円の掌握と上杉の滅亡を戸隠・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 | ◇アクセス
読みは「ひろせ」、「じんがせ」。永禄4年(1561)、9月10日早暁、山本勘助の啄木鳥(きつつき)戦法を採用し、妻女山(さいじょさん)の謙信を攻めるべく二手に分かれて海津城(かいづじょう)を出陣した武・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 | ◇アクセス
読みは「どうあいばし」。地元では「どあいばし」とも言う。戦死した山本勘助の首と胴を合わせたという伝説の場所。 永禄4年(1561)の戦いで「啄木鳥(きつつき)の戦法」を見破られた山本勘助は、2百の手・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 碑・像 | ◇アクセス
骨をつみしほ流ししもののふの おもかげうかぶ赤川の水 浅井洌作歌 この場所にはかつて、建御名方命[たけみなかたのかみ]を主祭神とし、西寺尾村岡組の産土守[うぶすながみ]とし・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 神社・寺 供養塔・墓 | ◇アクセス
読みは「てんきゅうじ」。八幡原の戦いで討ち死にした信玄の弟・典厩信繁(てんきゅう・のぶしげ)の墓がある。 典厩寺はもとは鶴巣寺(かくそうじ)と号し、合戦から60年後の承応3年(1654)に松代(まつし・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 神社・寺 | ◇アクセス
読みは「かんすけのみや」。山本勘助が討ち死にしたあたりといわれ、長野オリンピックスタジアムがある南長野運動公園の南西の端に石碑が建つ。現在の地より北東約100メートルの位置にあった。 勘助宮はもとも・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 神社・寺 供養塔・墓 | ◇アクセス
明徳元年(1390)に僧明徳が建立したとされ、武田の智将といわれた海津城主・高坂弾正忠の墓がある曹洞宗のお寺。高坂弾正の帰依が厚く、諸堂を修理して開基となった。 本堂 参道 ご本尊は薬師如来。お堂には・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 供養塔・墓 | ◇アクセス
読みは「こうさかだんじょうのじょう※・まさのぶ」、「かすが・とらつな」。川中島の前線拠点である海津城の城将として活躍し、合戦後、北信濃の経営を担った高坂弾正忠昌信は、天正6年(1578)病没し、彼が再・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 供養塔・墓 | ◇アクセス
永禄4年(1561)の第4次川中島の戦いで討ち死にした山本勘助は、陣ヶ瀬東高畑(じんがせ・ひがしたかばたけ)に葬られ、五輪塔が建てられた。ここは今でも「勘助塚」とも呼ばれている。元文年間(1736~・・・
続きを読む
カテゴリー:武田軍関連 供養塔・墓 | ◇アクセス
かつて山本勘助の墓とともに建っていた浄土真宗のお堂。千曲川の陣ヶ瀬[じんがせ]東高畑[ひがしたかはた]にあった山本勘助の墓は、松代藩士・鎌原[かんばら]父子らが元文4年(1739)に信州柴阿弥陀堂の・・・
続きを読む
全て見る / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9