
武田軍関連
カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 城・館 | ◇アクセス
村上氏の支族である山田氏によって築かれた山城で、山田城、砥沢城とも呼ばれる。川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられた。 天正10年(1582)、武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時・・・
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カテゴリー:武田軍関連 供養塔・墓 | ◇アクセス
読みはあめみや(あまみや)ぎょうぶの墓。雨宮刑部は、上田原の戦いで討ち死にした村上方の武将で、雨宮渡(あめのみやのわたし)にほど近い唐崎城の城主だった。雨宮摂津守の子、または清野信秀の子ともいわれて・・・
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カテゴリー:武田軍関連 神社・寺 供養塔・墓 | ◇アクセス
板垣神社 天文17年(1548)、村上義清(むらかみよしきよ)との上田原合戦で散った武田家の重臣・板垣信方(いたがきのぶかた)。武田信虎・信玄の父子二代に仕え、天文11年(1542)諏訪攻略の副将に・・・
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カテゴリー:武田軍関連 戦場跡 | ◇アクセス
諏訪・佐久地方をほぼ平定し、北信濃への進出をめざす武田晴信(信玄)は、天文17年(1548)2月、諏訪から大軍を率いて大門峠を越え小県郡に攻め込んだ。東信濃の勇将・村上義清は葛尾城(かつらおじょう・坂・・・
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カテゴリー:武田軍関連 供養塔・墓 | ◇アクセス
天文17年(1548)、武田軍と村上軍の合戦が繰り広げられた上田原一帯には、戦で命を落とした犠牲者を弔ういくつもの墓が建っていた。上田原古戦場の石碑が建つ石久摩神社の裏手には、名も知れなくなったこれら・・・
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カテゴリー:武田軍関連 城・館 | ◇アクセス
海津城(かいづじょう)の背後、武田軍の狼煙(のろし)台が置かれていた山。永禄4年(1561)8月14日、謙信の進撃を知った海津城将の高坂弾正忠(こうさかだんじょうのじょう※)は、冨士山形にそびえるこの・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 城・館 | ◇アクセス
長野市街地から髻山城跡を望む 長野市北端、飯綱町牟礼[いいづなまちむれ]との境にある髻山(標高744.4m)に築かれた山城で、越後方面から善光寺平に入る要衝にあたり、川中島の戦いの頃、上杉・武田両軍・・・
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カテゴリー:武田軍関連 城・館 | ◇アクセス
塩崎城 遠景 石組み 篠ノ井塩崎地区にある山城で、別名白助城[しらすけじょう]とも呼ばれる。 応永7年(1400)の大塔[おうとう]合戦の頃から赤沢氏の居城であったが、戦国期には塩崎氏が支配した。天・・・
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カテゴリー:武田軍関連 城・館 | ◇アクセス
別名赤沢城とも呼ばれ、大塔合戦から3年後の応永10年(1403)村上満信を盟主とする国人一揆党が再び反抗して立てこもり、幕府が攻撃し落城させたといわれる城。戦国期には、この一帯を支配した塩崎氏が天文2・・・
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カテゴリー:武田軍関連 城・館 | ◇アクセス
葛尾城跡本郭 武田信玄と激戦を繰り広げた村上義清の居城跡。葛尾城は五里ヶ峰[ごりがみね]から南に伸びた葛尾山頂が本郭で、その南には出城の姫城[ひめじろ]がある。 地形を生かして本丸、二の丸などを深い・・・
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