史跡ガイド

武田軍関連

海津城跡

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読みは「かいづじょう」。山本勘助が築城し、甲州流築城の模範になったといわれる名城。川中島平全体をにらむ、戦略的に重要な地点にあり、三方を山に囲まれ、西は南北に流れる千曲川という自然の地形を巧みに利用し・・・

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八幡原史跡公園(川中島古戦場)

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5度にわたって繰り広げられた信玄と謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年(1561)の戦いの舞台になったのが八幡原。ここでの戦いが最も激しく、副将・武田典厩信繁、山本勘助ら勇将が戦死した。史跡公園の松林・・・

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信玄・謙信一騎討ちの像

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永禄4年(1561)の川中島合戦で、武田軍の本陣に攻め入った謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたとされるエピソードから、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)原作のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映(・・・

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三太刀七太刀之跡の碑

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三太刀七太刀之跡の碑 左は八幡社 読みは「みたち・ななたちのあと」の碑。謙信・信玄一騎討ちの場所と伝えられ、三度斬りつけ軍配団扇(ぐんばいうちわ)には七つの傷が残っていたことから、こう言われている。・・・

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逆槐

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読みは「さかさえんじゅ」。永禄4年(1561)の川中島合戦で、山本勘助の進言によって「啄木鳥(きつつき)の戦法」をとることにした武田信玄は、八幡原のこの場所に土塁を積み重ね、矢来(やらい)を組み、盾を・・・

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執念の石

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武田・上杉両軍が3万余の死闘を展開した永禄4年(1561)の川中島合戦。上杉軍は車懸かりの戦法をとり、武田軍本陣の信玄めがけ上杉謙信が切り込んできた。謙信の鋭い太刀に、信玄は手にした軍配団扇で受け止め・・・

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首塚(甲越直戦之地の石碑)

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甲越直戦之地の石碑 石碑から東南へ180mの位置にある首塚 (写真は小高い塚の上にある碑) 読みは「くびづか」、「こうえつじきせんのち」の石碑。永禄4年(1561)の決戦のあと、海津(かいづ)城将で・・・

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茶臼山(本陣跡)

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川中島平西部、千曲川左岸(犀川右岸)にある標高730mの山で、信玄が一時本陣を構えたといわれる。南北に広がる善光寺平を眼下に見下ろす好位置にある。 茶臼山 遠景 本陣跡より荒砥(あらと)城方面を望む ・・・

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尼巌城跡(尼飾城跡)

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標高780m、尼巌山(あまかざりやま、尼飾山、雨飾山)の険しい絶壁の山頂に、土豪・東条氏が築城したとされる詰めの城。東条城とも称される。 尼巌山 遠景 尼巌山 近景(手前は善徳寺) 信玄は真田幸隆(さ・・・

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戸隠神社(中社)

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読みは「とがくしじんじゃ」。戸隠山のふもと、奥社・中社・宝光社(ほうこうしゃ)・九頭龍社(くずりゅうしゃ)・火之御子社(ひのみこしゃ)の五社からなる山岳信仰の霊場。「天岩戸」神話の舞台でもあり、平安時・・・

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戸隠神社奉納祈願文(武田晴信願状)

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戸隠(とがくし)大権現に捧げた武田晴信(たけだはるのぶ、信玄)願文。戦いに勝って領土を広げていくために、少しでも多くの神仏の加護を得たいと願った武田信玄が、永禄元年、信濃一円の掌握と上杉の滅亡を戸隠・・・

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広瀬(陣ヶ瀬)

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読みは「ひろせ」、「じんがせ」。永禄4年(1561)、9月10日早暁、山本勘助の啄木鳥(きつつき)戦法を採用し、妻女山(さいじょさん)の謙信を攻めるべく二手に分かれて海津城(かいづじょう)を出陣した武・・・

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胴合橋

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読みは「どうあいばし」。地元では「どあいばし」とも言う。戦死した山本勘助の首と胴を合わせたという伝説の場所。 永禄4年(1561)の戦いで「啄木鳥(きつつき)の戦法」を見破られた山本勘助は、2百の手・・・

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赤川の歌碑

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 骨をつみしほ流ししもののふの  おもかげうかぶ赤川の水            浅井洌作歌 この場所にはかつて、建御名方命[たけみなかたのかみ]を主祭神とし、西寺尾村岡組の産土守[うぶすながみ]とし・・・

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典厩寺

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読みは「てんきゅうじ」。八幡原の戦いで討ち死にした信玄の弟・典厩信繁(てんきゅう・のぶしげ)の墓がある。 典厩寺はもとは鶴巣寺(かくそうじ)と号し、合戦から60年後の承応3年(1654)に松代(まつし・・・

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勘助宮

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読みは「かんすけのみや」。山本勘助が討ち死にしたあたりといわれ、長野オリンピックスタジアムがある南長野運動公園の南西の端に石碑が建つ。現在の地より北東約100メートルの位置にあった。 勘助宮はもとも・・・

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明徳寺

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明徳元年(1390)に僧明徳が建立したとされ、武田の智将といわれた海津城主・高坂弾正忠の墓がある曹洞宗のお寺。高坂弾正の帰依が厚く、諸堂を修理して開基となった。 本堂 参道 ご本尊は薬師如来。お堂には・・・

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高坂弾正忠昌信の墓(春日虎綱の墓)

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読みは「こうさかだんじょうのじょう※・まさのぶ」、「かすが・とらつな」。川中島の前線拠点である海津城の城将として活躍し、合戦後、北信濃の経営を担った高坂弾正忠昌信は、天正6年(1578)病没し、彼が再・・・

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山本勘助の墓

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永禄4年(1561)の第4次川中島の戦いで討ち死にした山本勘助は、陣ヶ瀬東高畑(じんがせ・ひがしたかばたけ)に葬られ、五輪塔が建てられた。ここは今でも「勘助塚」とも呼ばれている。元文年間(1736~・・・

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信州柴阿弥陀堂

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かつて山本勘助の墓とともに建っていた浄土真宗のお堂。千曲川の陣ヶ瀬[じんがせ]東高畑[ひがしたかはた]にあった山本勘助の墓は、松代藩士・鎌原[かんばら]父子らが元文4年(1739)に信州柴阿弥陀堂の・・・

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善光寺

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本堂  源頼朝や北条一族にも篤い帰依(きえ)を受け、全国に広く信仰を集めていた大霊場。信玄は弘治元年(1555)に、ご本尊(一光三尊阿弥陀如来)はじめ什宝(じゅうほう…家宝として秘蔵するもの)、寺僧・・・

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信玄・謙信位牌(善光寺大勧進)

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北信濃の覇権をめぐり川中島で戦いを繰り広げた武田信玄と上杉謙信。両者は領地だけでなく、全国に広く信仰を集めていた善光寺の威光をも手に入れようと奪い合った。その善光寺大勧進には、現在、信玄と謙信の位牌が・・・

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飯縄大明神(飯縄権現、飯縄山、飯綱山)

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飯縄山 長野市の北方に美しい裾野を広げてそびえる飯綱山は、古くから修験道の霊山として栄えてきた。変幻自在の天狗・飯縄大明神は不動明王の化身ともされ、戦国武将から守護神として崇敬。上杉謙信は兜の前立て・・・

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飯縄山里宮(皇足穂命神社)

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飯縄神社里宮は、武田信玄が元亀年間(1570~1573)に創建したとされ、天正8年(1580)には武田勝頼が朱印状をもって造営と遷宮を行い、代々の神官・千日大夫(せんにちだゆう、たゆう。太夫とも書く)・・・

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大堀館跡

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弘治元年(1555年)の第2回川中島の戦いで、武田軍と上杉軍が犀川をはさんで長期にわたる対陣をした際、信玄の本陣となったところ。このとき、謙信は善光寺横山城に着陣。大塚館は犀川を隔てて善光寺に対し、東・・・

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猫ヶ瀬

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山本勘助が討ち死にした永禄4年(1561)の第4回川中島合戦。「啄木鳥(きつつき)の戦法」により妻女山(さいじょざん)を攻撃するはずだった1万2千の武田軍(啄木鳥隊)が、上杉謙信に裏をかかれたため、急・・・

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十二ヶ瀬

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読みは「じゅうにかせ」。永禄4年(1561)9月10日、山本勘助の「啄木鳥(きつつき)の戦法」を謙信に出し抜かれた武田1万2千の啄木鳥隊が、急ぎ信玄本陣の川中島へ向かって渡ろうとした千曲川の浅瀬。現在・・・

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戌ヶ瀬(狗ヶ瀬)

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永禄4年(1561)9月10日、山本勘助の「啄木鳥(きつつき)の戦法」により妻女山(さいじょざん)の上杉軍背後を突こうとした高坂弾正、真田幸隆ら十将が率いる武田軍(啄木鳥隊)だったが、上杉謙信に見破ら・・・

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旭山城跡

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上杉・武田両軍の争奪戦が行われた山城。長野県庁の西にそびえる標高785mの旭山山頂に本城、中腹に大黒城、尾根の突端には小柴見城(こしばみじょう)があった。 旭山全景 旭山城跡(旭山山頂) 天文22年(・・・

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荒砥城(あらとじょう)跡〈城山史跡公園〉

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村上氏の支族である山田氏によって築かれた山城で、山田城、砥沢城とも呼ばれる。川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられた。 天正10年(1582)、武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時・・・

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雨宮刑部正利の墓

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読みはあめみや(あまみや)ぎょうぶの墓。雨宮刑部は、上田原の戦いで討ち死にした村上方の武将で、雨宮渡(あめのみやのわたし)にほど近い唐崎城の城主だった。雨宮摂津守の子、または清野信秀の子ともいわれて・・・

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板垣信方(板垣駿河守信方)の墓〈板垣神社〉

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板垣神社 天文17年(1548)、村上義清(むらかみよしきよ)との上田原合戦で散った武田家の重臣・板垣信方(いたがきのぶかた)。武田信虎・信玄の父子二代に仕え、天文11年(1542)諏訪攻略の副将に・・・

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上田原古戦場

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諏訪・佐久地方をほぼ平定し、北信濃への進出をめざす武田晴信(信玄)は、天文17年(1548)2月、諏訪から大軍を率いて大門峠を越え小県郡に攻め込んだ。東信濃の勇将・村上義清は葛尾城(かつらおじょう・坂・・・

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無名戦士の墓

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天文17年(1548)、武田軍と村上軍の合戦が繰り広げられた上田原一帯には、戦で命を落とした犠牲者を弔ういくつもの墓が建っていた。上田原古戦場の石碑が建つ石久摩神社の裏手には、名も知れなくなったこれら・・・

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ノロシ山(狼煙山)

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海津城(かいづじょう)の背後、武田軍の狼煙(のろし)台が置かれていた山。永禄4年(1561)8月14日、謙信の進撃を知った海津城将の高坂弾正忠(こうさかだんじょうのじょう※)は、冨士山形にそびえるこの・・・

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髻山城跡[もとどりやまじょうあと]

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長野市街地から髻山城跡を望む 長野市北端、飯綱町牟礼[いいづなまちむれ]との境にある髻山(標高744.4m)に築かれた山城で、越後方面から善光寺平に入る要衝にあたり、川中島の戦いの頃、上杉・武田両軍・・・

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塩崎城跡

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塩崎城 遠景 石組み 篠ノ井塩崎地区にある山城で、別名白助城[しらすけじょう]とも呼ばれる。 応永7年(1400)の大塔[おうとう]合戦の頃から赤沢氏の居城であったが、戦国期には塩崎氏が支配した。天・・・

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塩崎新城跡

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別名赤沢城とも呼ばれ、大塔合戦から3年後の応永10年(1403)村上満信を盟主とする国人一揆党が再び反抗して立てこもり、幕府が攻撃し落城させたといわれる城。戦国期には、この一帯を支配した塩崎氏が天文2・・・

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葛尾城跡[かつらおじょうあと]

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葛尾城跡本郭 武田信玄と激戦を繰り広げた村上義清の居城跡。葛尾城は五里ヶ峰[ごりがみね]から南に伸びた葛尾山頂が本郭で、その南には出城の姫城[ひめじろ]がある。 地形を生かして本丸、二の丸などを深い・・・

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生島足島神社

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万物を生み育て、満ち足らしめる日本総鎮守と仰がれ、摂社(下社)には諏訪明神をまつる信州屈指の古社。 寺社勢力を取り込み、より多くの神仏の加護を得ようとした武田信玄は、天文22年(1553)、東信濃攻略・・・

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砥石城跡[といしじょうあと]

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東太郎山の尾根のひとつに構築された堅固な山城で、本城を中心に北に枡形城[ますがたじょう]、南に砥石城、南西に米山城[こめやまじょう]を配し、総称して砥石城と呼ぶ。 砥石城 遠景 左から米山城、砥石本城・・・

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広田城跡(広田砦跡・東昌寺・昌龍寺)

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読みは「ひろだじょうあと」。広田砦(広田城)は、昌龍寺[しょうりゅうじ]の辺りから東昌寺[とうしょうじ]辺りにかけて、武田方の川中島中央部の押さえとして弘治年中(1555~1558)に築かれた砦といわ・・・

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幕張の杉(記念碑)[まくはりのすぎ]

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幕張の杉 記念碑 第4次川中島の戦いで、地元の里人の申し出により、甲越両軍が戦場との境界として幕を張り、その時利用された杉の木。 永禄4年(1561)、信濃に進軍してきた甲越両軍に対し、川中島西部6・・・

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桑山茂見の墓(狐丸塚)

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りんご園の中に建つ古い五輪塔で、桑山茂見(くわやましげみ)の墓と伝えられる。もとは塚の上にあったものといわれ、塚は「狐丸(きつねまる)塚」「狐塚」と呼ばれる首塚の一つであった。 桑山茂見は、信玄に仕え・・・

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諸角豊後守の墓[もろずみぶんごのかみのはか](両角豊後守の墓)

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諸角豊後守は、信虎、信玄の2代にわたって武田家に仕えた重臣。両角・室住・諸住とも記し、諸角虎定[とらさだ]、昌清[まさきよ]ともいう。 永禄4年(1561)の川中島の大激戦では、81歳という最古参で・・・

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原大隅守の墓(地蔵寺)

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 原大隅守[はらおおすみのかみ]は、川中島の戦いでは武田信玄の中間頭でもあった。八幡原史跡公園にある「執念の石」は、永禄4年(1561)の第4次川中島の激戦で、上杉謙信が武田の本陣に乗り込み、信玄と一・・・

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青木神社(陣場河原八幡宮)跡

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 長野市中氷飽(なかひがの)・陣場(じんば)にある。川中島の戦いで、激戦場となった陣場には、この地を開拓した青木家祖が勧請した青木神社があったが、永禄年間中(1558~1570)、兵火のため焼失した・・・

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境福寺

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境福寺 信玄公ゆかりの井戸跡  読みは「きょうふくじ」。川中島合戦のころは小さな庵で、武田信玄が水を求めて立ち寄った際に「境福寺」と命名し、弘治2年(1556)上人を迎えて勧請(かんじょう)したと伝・・・

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保科氏館跡

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総門から本堂を望む 本堂  場所は長野市若穂保科。「槍弾正」と称された高遠城主・保科弾正忠正俊(ほしな だんじょうのじょう※ まさとし)は、武田方の信濃先方衆騎馬120騎持ちの侍大将を務め、武田家滅・・・

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町田兵庫正之の墓(長徳寺)

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長徳寺  弘治元年(1555)、犀川[さいがわ]をはさんで甲越両軍が対陣した第2次川中島の戦いで、武田信玄の本陣となった大堀館は、町田兵庫正之[まちだひょうごまさゆき]の居館とされている。  町田兵・・・

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横田城跡

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 北国往還の要衝・雨宮の渡し[あめのみやのわたし]をはさみ、古来より合戦場となった横田河原につくられた城。城跡は、現在の篠ノ井会[あい]地区の集落一帯のあたりとされる。養和元年(1181)木曽義仲が・・・

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栗田城跡

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 村上氏一族・栗田氏の城館跡。堀之内城ともいわれた。弘治元年(1555)、第2次川中島の戦いでは、栗田氏は武田方について旭山城にこもり、横山城の上杉謙信を牽制した。信玄は犀川[さいがわ]対岸の大堀館に・・・

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長沼城跡

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 千曲川左岸の自然堤防上にひらかれた長沼集落に築かれた平城。このあたりを支配していた島津氏の拠点であったが、弘治3年(1557)、葛山城を攻め落とし、善光寺平から北信濃へと兵を進める武田の軍勢に押さ・・・

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大倉城跡

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 標高539m、善光寺平の北方、千曲川と鳥居川が合流し、北国東街道・飯山街道・中野街道が交差する要衝の地に築かれた山城。 本郭跡を見上げる 本郭跡  弘治3年(1557)、武田軍によって葛山城が落城し・・・

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天宗寺

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 大岡城跡の東側にある曹洞宗のお寺。読みは「てんそうじ」。  寺伝によると、文応年間(1260~1261)に香坂宗清[こうさかむねきよ]が開基となって創建。麻績城主・小見氏の娘華蔵院(諏訪頼重の室)が・・・

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大岡城跡

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 砦山城[とりでやまじょう]とも呼ばれ、武田軍によって築かれたといわれる。近くにある天宗寺が館跡とされている。築城法は甲州流の特徴といわれる丸馬出しや三日月堀が見られる。 大岡城跡 天宗寺方向から大岡・・・

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松代温泉 松代荘(信玄の隠し湯)

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 松代荘は、川中島の戦いの舞台ともなった松代の散策拠点として親しまれている国民宿舎。近年リニューアルし、武家屋敷風の外観が城下町松代らしさを醸し出す。  松代荘に湧く松代温泉は「信玄の隠し湯」とも呼ば・・・

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加賀井温泉 一陽館(信玄の隠し湯)

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 尼厳山の麓にある加賀井温泉(松代温泉)の歴史は古く、鎌倉時代、日蓮上人が佐渡に渡るとき、北国裏街道の行き帰りに入浴したと伝えられる。戦国時代には、武田信玄が川中島の戦いで負傷した将兵の心と体を癒した・・・

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小松尾城跡

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小松尾城跡遠景 小松尾城跡近景 犀川[さいがわ]筋の見張りを兼ねた山城。信州新町和田之城から谷を隔てた南方にあり、牧之島城、麻績城といった更級・水内・筑北の狼煙ネットワークのひとつと考えられている。・・・

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耕心庵

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信玄桜  縁起によると、永禄4年(1561)の川中島の戦い後、武田信玄は善光寺平を一望できる茶臼山の中腹から自領を視察したところ、戦乱で荒廃した村里を見て心を痛めた。そこで激戦で犠牲になった数多くの・・・

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牧之島城跡

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 上水内郡信州新町牧之島にある。 牧之島城は、鎌倉時代に佐久の香坂氏(高坂)が移住し、牧場を経営して土豪となり築城した城。天文22年(1553)城主香坂弾正宗重は、村上義清に組して武田信玄に抗した。義・・・

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鳥打峠

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 読みは「とりうちとうげ」。松代の城下町から東寺尾を経て大室へ越え、更に飯山方面へと向かう谷街道※の峠。武田信玄や山本勘助も一目おいた額岩寺光氏(がくがんじみつうじ)が、主君の村上義清のため武田方に降・・・

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耕雲寺

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 読みは「こううんじ」。埴科郡坂城町南条にある。 武田信玄、勝頼が厚く保護した曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来。寺伝によると、天文22年(1553)甲州の耕雲寺の僧が開き、寺名は武田晴信(信玄)が命名し・・・

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長谷寺

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 読みは「ちょうこくじ」。上田市真田にある。武田軍随一の謀将・真田幸隆を開基とする曹洞宗の寺院。境内には、幸隆夫妻と子・昌幸の墓がある。 真田幸隆・昌幸の墓  天文10年(1541)に武田信虎・諏訪頼・・・

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塩野神社

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 読みは「しおのじんじゃ」。上田市塩田平の独鈷[どっこ/とっこ]山麓にあるにある古社。祭神は、素佐之男命[すさのおのみこと。須佐之男命、素盞嗚命とも書く]、大己貴命[おおむなちのみこと]、少彦名命[・・・

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屋代城跡

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 別名・一重山[ひとえやま]城。千曲市にある。東信濃と善光寺平に接する千曲川沿いの要地にあり、城主は村上支族の屋代氏とされる。一重山の尾根に、南北に連なる郭と堀切を置き、川中島地方の南端に威容を誇って・・・

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塩田城跡

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 上田市塩田平の南方、独鈷[どっこ/とっこ]山麓に築かれた城。鎌倉文化を花開かせた北条義政(1242-1282)の居城とされ、戦国期は、村上義清が福沢氏をおいて東信濃を統治させていた。  天文22年・・・

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東光寺

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 読みは「とうこうじ」。松代町東条の尼巌山南麓に建つ真言宗の寺。古くは龍華山密蔵院蓮光寺(れんこうじ)と号し、武田信玄が海津(かいづ)城を築くにあたり、城の守護祈願寺とした。 東光寺 入口 本堂  慶・・・

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小柴見城跡

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 読みは「こしばみじょう」跡。裾花川の西、旭山の東南にのびた尾根の突端にある山城。この地の土豪であった小柴見宮内(こしばみくない)が築いたといわれ、小田切氏の属城であったともされる。  戦国時代、甲・・・

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山本勘助鎮魂之碑

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 川中島の人々の心の中に今も生き続ける山本勘助を偲び、2007年3月、長野市西寺尾地区市政百周年記念実行委員会によって建立された鎮魂碑。武田の名軍師として主君信玄に忠節を尽くした山本勘助は、永禄4年(・・・

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旧山千寺観音堂

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 読みは、旧「さんぜんじ」観音堂。寺伝によると天文12 年(1543)、戸隠(とがくし)奥院円明坊(佑)弘が、天台末派になることを条件に、戸隠一山の力を借り、十二坊を構えて開基。永禄4年(1561)・・・

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大里山風雲庵

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 読みは「おおさとやま・ふううんあん」。場所は長野市松代町清野。  永禄4年(1561)8月、上杉謙信との川中島合戦の戦勝を祈願し、武田信玄が寺地を寄進し建立したと伝わる。鞍骨(くらぼね)山の麓、清野・・・

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安養寺

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 読みは「あんようじ」。永禄10年(1567)に浄土宗総本山・増上寺10世感誉存貞(かんよぞんてい)が開山となって綱島に創建された寺院。このあたりを本拠とした綱島氏の開基といわれる。  天明7年(1・・・

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明桂寺

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 読みは「みょうけいじ」。犀川の南岸、軍事上の要地であった綱島小中島に居城した豪族・綱島氏が開基とされる曹洞宗の寺院。川中島の戦いのころ、綱島氏は武田方に属した。永正12年(1515)若穂綿内(わた・・・

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霜台城跡

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 読みは「そうたいじょう」跡。若穂保科須釜。  武田信玄に仕え、高遠城主となった保科弾正忠正俊(ほしな だんじょうのじょう※1 まさとし)は「槍弾正」の異名をもつが、霜台(そうたい)とは「弾正忠」の・・・

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霞城跡

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霞城跡遠景 石垣跡  読みは「かすみじょう」又は「かじょう」跡。長野市松代町大室にある。別名・大室(おおむろ)城跡。奇妙山(きみょうさん)から伸びた尾根が崖となって千曲川に落ち込み、三方は断崖で囲ま・・・

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金井山城跡

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 長野電鉄金井山駅の裏手、松代の東北に半島のように突き出た金井山山頂にある。長野市松代町柴。南北に2つの郭が並び、細長い山の背を利用した山城で、寺尾氏の家老だった金井氏の砦と伝わる。 金井山城跡遠景 ・・・

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寺尾城跡

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遠景 寺尾城跡遠景  長野市松代町東寺尾。寺尾氏築城とされる城。千曲川沿いに突き出た尾根に位置し、善光寺平へ大室(おおむろ)から可候(そろべく)峠を越え、加賀井、地蔵峠、上田方面へと通じる交通の要所・・・

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竹山城跡

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 長野市松城町松代。海津城跡の南にある通称・象山(ぞうざん・標高475.8m)山頂に築かれた城。清野氏一族の西条(にしじょう)氏の居城であったといわれ、鞍骨(くらぼね)城の支城としての役割を果たしてい・・・

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平倉城跡(小谷城跡)

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 読みは「ひらくらじょう/おたりじょう」跡。小谷村中土の姫川右岸、松本から越後の糸魚川(いといがわ)に抜ける要衝にあり、標高835mの平倉(ひらくら)山に築かれた山城。 遠景 遠景その2  弘治3年(・・・

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