千年の時を超えて生き続ける長野市の一本桜。 今年も見事な花を咲かせます。

春遅い信州ですが、3月も半ばとなり、少しずつ春の息吹が感じられるようになってきました。これから長野市は、ウメ、サクラ、アンズと春の花々が咲き競い、とても美しい季節を迎えます。そこでぜひおすすめしたいのが、樹齢千年を超えるといわれる2本のエドヒガンザクラを愛でる、山あいの集落への小旅行。

一本は、長野市塩生(しょうぶ)甲にある「巡礼桜」、もう一本は、長野市泉平の「神代桜」。どちらも地区の保存会の皆さんによる手厚い保存活動によって、今も堂々たる樹勢を誇ります。さあ、千年の歴史に彩られた貴重な桜の古木に会いに行きましょう!

 

巡礼の弔いに植えた(?)巡礼桜

長野市街地から国道19号線を西へ15分ほど行くと、犀川沿いに住宅地が広がる長野市安茂里(あもり)の小市地区があります。古くから「小市の渡し」と呼ばれた犀川の渡し場があり、ここから善光寺へ、また修験道と信仰の地・戸隠へと向かう、北信濃の交通の要衝でした。

国道19号線から県道406号線に入り15分ほど上ったところにある「巡礼桜」は、樹高18.2メートル、目通り周囲7.3メートル、樹齢約700年の古木。昭和42(1967)年に長野市指定天然記念物に指定されています。小市の渡しから小野平・下峠を経て戸隠へと続く古道の途中にあたり、「巡礼」の名もそこに由来しているようです。

 

「昔ここに観音様を祀るお堂があったんですよ。戸隠への巡礼者たちが疲れを癒す宿にもなっていたようですが、ある時、諍いがきっかけとなり、一人の巡礼が命を落とした。その供養のために堂守がエドヒガンザクラの苗を植えたのが“巡礼桜”の始まりといわれています。また一説には、巡礼が突いてきた桜の杖をここに立てたところ芽が出て根づいた、という話もあります」

巡礼桜の名前の由来と歴史を話すのは、地区の集落住民による巡礼桜保存会の元会長、臼井和弘さん。保存会の会長を長く務められ、巡礼桜の保存活動に携わられました。

 

遙かな時を超えて

巡礼桜の樹齢は約700年ですが、それは大木が枯死しかけた時、根際から出た新しい芽が根付いて育ったもの。もともとから数えると優に1500年を超えるといわれています。遙かな時の流れを超えて生き続ける古木は、春には枝いっぱいに美しい花を咲かせます。

そのたくましい樹勢は、保存会の皆さんによる日頃の世話と手入れの賜物。消毒(3月)、根の乾燥防止のための藁敷きと除草(6月)、草刈り(8月)、山の腐葉土の施肥(11月)と、一年を通して保存活動を行っています。

「色合いも良く、大勢の人に楽しんでもらえる花だなと感じます。それは保存会のみんなで一生懸命手入れをしているからこそで、そこに我々の楽しみがあるし、誇りでもある。この成果をぜひ皆さんに観てほしいと思います」

昨年は残念ながら巡礼桜の花見ができなかったという臼井さん。「今年はぜひ観たい」と4月下旬の開花を楽しみにしています。

 

スサノオノミコト伝説に由来する神代桜

一方、長野市泉平の「神代桜」は長野市街地から車で25分ほどの西北部の中山間地、芋井地区の泉平集落にあります。樹高10メートル前後、目通り周囲11.3メートル、樹齢約1200年と、こちらも堂々たる古木。その名の由来となった伝説が残り、昭和10(1935)年に国の天然記念物に指定されています。

神代桜保存会の会長、新井友訓さんは神代桜の由来について、こう話します。

「その昔、スサノオノミコトがこの地を訪れた時、突いてきた桜の杖を水辺に挿したところ、そこから芽が出て根付いたと伝えられています。そばにある素桜神社はスサノオノミコトの“素”に由来し、神が植えたことから“神代桜”と呼ばれています」

 

この伝説をもとに明治31(1898)年、観世流宗家によって謡曲「素桜」がつくられました。それは、こんなストーリーです。

桜見物に来た男に里女が「この木は昔、神が植えたもので、類い希なので素桜という」と教える。そして男が桜の下でまどろんでいると、里女が花の精となって現れ、桜を賛美して舞い、朝になると霞とともに消えていった・・・

その名はもとより、どこか神秘的な佇まいをもつ神代桜ならではのファンタジックなお話ですね。

 

子どもたちに伝えたい、という思いで

         

千年を超える樹齢の神代桜が今も美しい花をいっぱいに咲かせるのは、言うまでもなく、保存会の皆さんによる手厚い保存活動のおかげです。

「毎年2月下旬から、見栄えを良くするために枯れ枝の除去をし、冬の間、鳥が桜の芽を食べないように消毒をします。春先には有機質の肥料を撒き、6月には虫の駆除を行います。さらに下草刈り、水やりと一年を通して活動しています」

それだけに手間はもちろん、費用もばかになりません。その多くを保存会の皆さんが負担して続けているのが実情。さらに集落の高齢化により、保存会の後継問題という課題も抱えています。この二つの悩みは、先の巡礼桜保存会もまったく同じ。新井さんはこう話します。

「一本桜の保存活動はこういう小さな集落だけでは大変。今後どういういうかたちで維持管理を続けていくかが課題になっています」

 


                              (芋井小学校提供)


                              (芋井小学校提供)

4月下旬には豪勢に花を咲かせてくれる神代桜。

開花に合わせて、今年も地区内の芋井小学校の全校児童が神代桜の前で「神代桜の集い」を行います。これは児童たちが、スサノオノミコトがこの地にやってきた伝説を題材にした演劇を披露したり、神代桜をスケッチしたりする行事。30年前の平成元(1989)年に始まり、毎年開かれています。

新井さんはこの集いで毎年、神代桜の由来と、どのように木を守っているかを子どもたちに話しています。地域の宝であり、日本の宝でもある神代桜を守っていくことの大切さを子どもたちに伝えたい。そんな思いで、今年も子どもたちに語りかけます。

 

閉校になった芋井小学校第一分校にある前・芋井小学校長の作品(普段は施錠し、一般公開はしていません)

 

長野市は4月中旬にサクラの見頃を迎えますが、山間地にある巡礼桜と神代桜は4月下旬に開花し、比較的長く咲き続けます。長く楽しめる長野市のお花見の締めくくりにぜひ、千年の時を超えて生き続け、見事に咲き誇る二大一本桜に会いに来てください!

(記事取材:2018年)


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