ながの山城あるきコースのご紹介

最新の山城あるきコースに関する情報は、
「ながの山城あるき」サイト
からご確認ください。

長野市は、周囲を険阻な山々に囲まれています。上杉謙信と武田信玄が戦った「川中島の戦い」をはじめ、平安期から戦国期にかけて幾度も大きな戦の舞台となった事から、数多くの山城の痕跡が残っています。

現在はトレッキングコースが整備されている場所もあります。山城を訪ねて、歴史に思いをはせる「山城あるき」コースをご紹介します!

 

葛山城跡(かつらやまじょうあと)

第2回川中島合戦の対陣のとき、善光寺の北西にある葛山山頂に築かれた上杉方の城。謙信が武田方の旭山城に対する向城として整備・拡大した。

もとは葛山衆と呼ばれる地侍の城で、城主は落合氏。葛山山頂にある主郭を中心に、城郭構造が東西約900m、南北約600mの広範囲に及び、長野市域では最大級の山城とされる。

長野市芋井  標高:812m

 

旭山城跡(あさひやまじょうあと)

またの名を朝日山城。上杉・武田両軍の争奪戦が行われた山城。

長野県庁の西にそびえる旭山山頂に本城、中腹に旭城(大黒城)、尾根の突端には小柴見城があった。今川義元の仲裁で200日に及ぶにらみ合いの末和睦となった第2回川中島合戦によって旭山城は上杉方に破壊されたが、弘治3年(1557)に謙信が再興したといわれる。

長野市安茂里  標高:785m

尼巌城跡(あまかざりじょうあと)

尼巌山の険しい絶壁の山頂に、土豪・東条氏が築城したとされる詰めの城。東条城とも称される。

武田信玄は真田幸隆に、上杉謙信側の軍事拠点であったこの城の攻略を命じ、幾たびかの攻略戦の末、ようやく陥落させたという。三方は断崖絶壁で、北西だけが尾根続きになっている。南方の敵に備えて築城されていることがわかる。

長野市松代  標高:780.9m

若槻山城跡(わかつきやまじょうあと)

鎌倉時代初期に若槻氏を名のる源頼隆が築き、その後上杉謙信によって整備されたという山城。戦国時代には甲越による争奪戦が繰り広げられた。

主郭などの規模は大きく、典型的な山城の遺構がそのまま残されている。主郭から北方には番所があり、山背よりの備えと狼煙台に利用されたものとも考えられている。

長野市若槻  標高:676m

髻山城跡(もとどりやまじょうあと)

越後から善光寺平への要衝にあたり、川中島の戦いの頃、上杉・武田両軍によって利用された。山頂に本城があり、やや下がった平坦部に小城が築かれていた。上杉氏による野尻城(信濃町)および飯山城(飯山市)からの進軍ルートを結び、善光寺横山城への中継拠点として、川中島出陣に利用された。

長野市吉  標高:744m

牧之島城跡(まきのしまじょうあと)

武田信玄が馬場信房(信春)に築かせた城。安曇野から善光寺平に繋がる街道を監視・警備する拠点として、牧城を改修して築城した。

城域の入口で、牧田中に通じる道周辺を城下とし、3方は犀川で囲まれ、半島状に突き出た根元を堀で断ち切っている。このような地形に築かれた城は、甲州流築城術による城である。

長野市信州新町  標高:468m

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